人気ブログランキング | 話題のタグを見る
AX

むーちゃんパパの日常ですが不定期更新です (^_^;
by inzeikun4
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
My ブログ


アクセスカウンター




むーちゃんの
プロフィール
Pembroke Welsh Corgi
2002年2月8日(金)
北海道旭川生まれ
北陸の金沢育ち

2011年5月1日(日)。
9歳3ヶ月近く(3,370日)の
生涯を全うしました。
家族のみんなに愛されて、
とても幸せな生涯でした。




アー君のプロフィール
Pembroke Welsh Corgi
2011年4月30日生。
生まれも育ちも石川県金沢市。

2020年6月15日。
9歳と1ヶ月半(3,335日)の
生涯を全うしました。
家族のみんなに愛されて、
とても幸せな生涯でした。
また会いたいね。


アクセスカウンター




使用機材
Nikon D600
Nikon D7000
Nikon1 V1

Nikon F801,F301,FM


NIKKOR Auto24mmF2.8Ai改
Nikkor 35mm f/2.8 Ai-s
AF-S NIKKOR35mmf/1.8G ED
Ai AF 50mm f/1.4D
AF-S Micro60mmf/2.8G ED
AF-S 85mm f/1.8G
AF-S DX VR 18-200mm(旧)
NH-WM75ワイドコンバーター
Σ APO150-500 DG OS
その他、MFレンズ

犬のノーリード=『条例違反』
については

【こちらの記事】

をご覧ください











相互リンクいただいている
ブログの皆様
































NHK PM2.5
大気汚染粒子拡散予測


☆コメント承認制を適用していますが、お気軽にコメント下さい。
☆なお、記事の内容と関係のないコメントにつきましては、管理者の判断により削除させていただきますので、御了承下さい。
フォロー中のブログ
コーギーと私
「猫と三味線と家族」父は...
大隅典子の仙台通信
アーサーの「はぱ」な日々...
M8, M9 & R-D...
ふう姫日記
犬とネコの日々
楽しまなくっちゃ♪
Yesterday's*...
亜熱帯天文台ブログ
かけがえのない日々
もんといっしょ!
~秋色紫陽花と暮らす日々~
station2
junior言 =ひとりごと=
サスケFC
気ままイヌ
尻尾のあるコーギー
のんびりのんびり~
Avec Syu
Woffy and Cutie
Corgi Cottage*
Corgi Cottage
男はつらいよ的な日々
jufoのふたり言
瞬 彩 Shun-Sai*
*ぽん*と
マクロパパの写真ブログ
◆◆happy&enjo...
東京都調布市菊野台の手作...
週刊アール neo 2
自 然 派 日 記
まめっちの毎日
corgi-quilt
モンスケ'ず ふぉとぶろぐ
♪ことこと、こっとん♪・...
Think wan wan
Miwa Note in...
湘南大磯の海 デジタルア...
オランジュショコラを飲みながら
SHITO Sto...
ひだの国から
mieux-vivre ...
風とこだま
外部リンク
カテゴリ
全体
Family系
コーギー
飛ぶ犬系
海系
雪系
お散歩系
鳥さん系
金沢の風景系
写真・カメラ系
お花系
食べ物系
桜系
お出かけ系
高知系
golf系
いろいろ系
昆虫系
ブログ系
芝生系
動画系
天文系
二十四節気
未分類
以前の記事
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
more...
検索
ダメですよ??
★ このブログに掲載されている写真・画像・イラスト・文章等を無断で使用することを禁じますワン〜。
その他のジャンル

All rights reserved
by inzeikun4

Original skin by
inzeikun4

  銀閣の謎

2014年 04月 04日

 
先日の京都行きで、高速を降りてからまっすぐに向かった先は、ここでした。

山号が「東山(とうざん)」だそうです。

銀閣の謎_b0319658_15124188.jpg









 



総門のそばでは、椿の花が出迎えてくれました。














通称は「銀閣寺」ですが、この慈照寺には、本堂(方丈)、庫裡、書院、東求堂、銀閣(観音殿)など、多くの建物があります。
「銀閣(観音殿)」は、この慈照寺にある建物の中の一つです。














総門をすぎると、「銀閣寺垣(ぎんかくじがき)」と呼ばれる椿の垣根の通りがあります。

実は、むーちゃんパパは41年振りにここを訪れたのですが、この「銀閣寺垣」は記憶にありません。
むーちゃんママも30数年振りに訪れたのですが、記憶にないそうです。
いったい、いつからこのような「銀閣寺垣」があるのでしょう、、、。謎です。














入ると、まず目につくのが、この『向月台(こうげつだい)』です。
京都の白川砂という白い砂を固めて作ってある円錐台です。














そして、その先、本堂の前には、『銀沙灘(ぎんしゃだん)』があります。














銀閣と言えば、こういう写真を見かけたりすることもあります。














さて、今回の平安京行きですが、時間的制約もあり、観光できるとすれば1カ所だけだろうと思い、この通称「銀閣寺」にしました。
それは、以前に見た、某国営放送のテレビ番組の印象がとても強かったからです。

【ハイビジョン特集『銀閣よみがえる~その500年の謎~』(2010年5月30日放送)】


某国営放送で放送された番組は、オンデマンドに登録されていたり、DVDが発売されていたりします。
ところが、この番組はDVDでもオンデマンドでも見ることができません。どうしてなのでしょう?

謎です。










製作は、どうやら、別の会社が請け負ったようです。
番組の内容についても、【その会社のサイト】で少しふれてあります。

私にとって、特に記憶に残っているのは、、、

『向月台が月の光を反射し、その光は、2階の屋根の裏側に貼られた銀箔でもう一度反射して、
2階の窓から部屋の中を照らす』

というお話でした。



つまり、こういう感じの内容を、まるで大発見のように放送されていた記憶があるのです。




しかし、、、実物を見たときに、なんとなく、、、ちょっと違うんじゃない?みたいな気もして、、、
帰ってきてから少し調べてみたのです。












まず、グーグルの地図の写真で見てみましょう。向月台は銀閣の右上にあります。
これは上が北、右は東になります。ですから、向月台は銀閣の北東方向にあります。
向月台が月の光を反射して銀閣を照らすためには、月は北東の方角になければなりません。
しかし、果たして、そういう方角から月が照らすのでしょうか?














そこで、よく拝見している、『こよみのページ』でチェックしてみました。
これは、今年(2014年)の9月の初めから中旬までの月の出と方角です。



例えば、今年(2014年)の中秋の名月は、9月9日です。その日の京都での月の出は18時12分で方角は92度。
つまり、真東よりも2度だけ南側の地平線から月が出ます。

しかし、銀閣の東側には、山があります。月が山の上に出てしまって向月台を照らすには、せめて30度程度は上空にのぼっていないとだめでしょう。
もちろん、この他に、1月〜12月の他の月もチェックしました。




月だけでなく、多くの天体は、北半球の日本の位置から観測する場合、東からのぼる時、南よりに斜めにのぼって南の方に移動していきます。
だから、北東の方角、つまり45度ぐらいから月が向月台を照らすことは、、、ありえないですね。














それから、また少し調べていると、興味深い記事を発見しました。
山本哲三さんという方の『Stone Work』というサイトの、

【古天文話し「銀沙灘と月」(99/9/19~07/12/8)】です。


この記事がUPされたのは、1999年9月19日で、最新更新日が2007年12月8日となっています。
この記事の前半部分を引用させていただくと、、、。


銀沙灘と月(東山慈照寺)

 ずっと以前に読んだ本からの記憶に、「京都の銀閣寺には白川砂を盛り上げた銀沙灘があり、これにあたった月の光の反射が銀閣の銀箔天井にほの明るい光を感じさす」と言う事があります。この事をインターネットを始める前に加入していたニフティーサーブの建築ホーラムの雑談コーナーに書き込んだ事があります。その時の反応は、「銀沙灘と銀閣の角度と月の角度から言ってその反射光が銀閣の天井に達することはないと思うと。」言うものでした。確かに銀閣寺を訪れてみると、東側には池があり、銀沙灘は北北東ぐらいの位置にあります。山際(月待山)に位置する境内の月の出はかなり月が高く昇ってからでないと目に入らないだろう。すると建築ホーラムでの意見は確かに正しい。もう一度以前に読んだ本「京の魅力」を読みなおしてみた。因みに、この本はモノクロームの写真とエッセイから構成されていて、写真の横には写真集の様に、レンズ、絞り、シャッター・スピード、フイルム感度のデーターが添えられていると言うすごくシックな本です。 [彼の文化人たろうとする努力と修養は、達せられたのではないか、と思う一つは、銀閣に案外な新工夫のある事を知るからである。銀閣のある土地は東山の直ぐ麓で、この楼上から月を眺めようとすると、相当高く昇ってからの月でないと仰げまい。月が山の端を離れる際の美しさは味わえない。そこで彼は工夫した。銀閣の北脇や・前方に白河砂を盛り上げた台地を構えた。一種の砂丘である凸それを銀砂灘という。そしてその頂部を平らかに掃いた。白河の砂は純白である。花筒岩の崩れた砂である箏この自さは、洛北白河の特産である。若しこの銀砂灘に月光が落ちたとすると、かも瓜かまくわ瓜の花が月光を受けた時のように、透き通るような自さになるであろう。、そこに、アッ、と驚く発明がある。それは、この銀砂灘の上の平面が、本当の水平でなく、銀閣に向って幾分の傾斜を持って居る事である。それに気の附いた私は、思わずコしダと叫んだ。 義政の苦心がそこにあった。 即ち銀砂灘の表面を銀閣に向けて煩ける事によって、この銀砂灘に落ちた月光は反射されて、銀閣そのものの楼上に達し、屋根裏を照らす、楼上の花頭窓を開けば、その中の天井まで達する。 天井には、その中央部僅かな部分であるが銀箔を置いて銀閣の名称に偽りがない事を示したものがある。 その銀箔に当った白砂から反射した光は、銀箔という反射鏡で再び曲折されて、閣内を広く照らす。 要するに東山から登った月光は、月−砂−銀箔と三回転して、閣上に光を取り入れる事に成功した。光線の反射の利用、一大変な発明ではないか。(京の魅力、中村直勝著] この文章を読むと、子供の頃に太陽光を鏡に反射させ友だちの目に当ててまぶしがらせる悪戯の様な強烈な光の反射をイメージするが実際の光は月の光であり仮に反射の角度が合って反射してもこの文章の様にはいかないだろうと思われる。するとこれはなんなんだろう。

 中村直勝氏は歴史家である。「京の魅力」では京都の名刹にかかわりのあった歴史上の人物を描くことに文章を駆使している。金閣は足利3代将軍の義満によって建てられた。その孫の5代将軍義政によって銀閣は建てられた。覇権を競った先代にくらべて義政になると足利家も屋台がゆらいでいる。また義政の夫人は悪女の筆頭の日野富子で富子のへそくりで銀閣は建ったと言われるくらい義政には政治力も経済力もなく終止、造園や文化人との交流に明け暮れている。こんな義政の才に中村直勝氏は肩入れをしているのではないでしょうか。

(↑ちなみに、足利義満は3代将軍で、その孫の足利義政は8代将軍です。)

やはり、向月台が月の光を反射して銀閣の内部を照らすというのは、ありえないことなのですね。
しかも、この記事が書かれた1999年の段階で、そのことがわかっていたのですね。
「京の魅力」を書かれた中村直勝氏は、ちょっと義政に肩入れをされたのですね。












さらに調べていくと、色々なことが、、、。

2007年の学術調査の結果、銀閣の壁には銀箔は使われていなかったことが判明したそうです。
じっさい、『銀閣』という呼称は、江戸時代以降の文献で初めて登場するそうで、室町時代には、そのようには呼ばれていなかったようです。

そして、2008年から2010年にかけて、耐震補強等の大規模な修復がされました。
その時に判明したのは、銀閣の壁面には黒漆が塗られていたということでした。












ですから、この写真に写っている2階の屋根の裏側や壁の一部がなんとなく白っぽいのは、銀箔が貼られていたわけではないのですね。
窓の枠は黒っぽく見えますが、そこには黒漆が塗られていたのですね。














障子、つぎはぎしてありますね。














さて、2007年や2008年から2010年の大規模な調査・補修で判明した、創建当時の様子は、このようなものだったそうです。
これは、お土産物屋さんの横に展示してあります。壁の部分は黒漆で真っ黒ですね。














侘び寂びの文化にしては、けっこうカラフルだと思ったりもするのですが、宇治平等院鳳凰堂のような派手な朱色の建物に比べれば、やはり武士らしくてシックなのかもしれません。














それに、義政が住んでいたこの東求堂は、やっぱり侘び寂びの文化っぽいですね。














ついでですが、向月台と銀沙灘は、どうやら江戸時代の1639年に作られたようです。
つまり、足利義政の時代には、なかったようです。
その時代には、この向月台の場所に東求堂が建っていて、後に現在の場所に東求堂が移築されたとか、、、。
その後、室町時代の1558年の北白川攻防戦により、銀閣と東求堂以外は消失してしまったとか、、、。

銀沙灘も、1639年に作られた時と現在とでは、形が違うようです。
江戸の安永年間(1772~1781)の地図と、寛政年間(1789~1801)の地図では、銀沙灘の形が違っていて、寛政の地図のものに近いとか、、、。












つまり、某国営放送の番組は、中村直勝氏の書かれた「京の魅力」に肩入れしてしまったのかもしれません。
それで、向月台で月の光を反射して、、、という番組になってしまったのかもしれません。
そして、それでは、現実とはそぐわないので、オンデマンドでも見られないようになったのでしょうか。

まあ、謎ですね。












ちなみに、山本哲三さんの記事に出てくるニフティサーブですが、私も1994年の4月からニフティのメンバーです。(ニフティに加入する前は、1年間、地元のネットワークでパソコン通信をしていました。)

当時はインターネットではなくパソコン通信でした。
電話回線とモデムを利用し、文字による情報が中心でした。

その後、インターネットが発達し、ダイヤルアップ接続が、ADSLや光回線に進化しました。
ニフティサーブのフォーラムは、インターネット時代になっても続いていたのですが、時代は変化するものですね。
フォーラムが廃止されたのは、2006年のことでした。





続く、、、かも。





 さあ、ゆっくりゆっくり頑張るのだワン〜。

    ゆっくりゆっくり頑張るのだワン〜。






【 Japanese Corgi Life 】



All Rights Reserved   なお、記事の下に広告が入っている場合、エキサイトさんが載せている広告です。ブログ管理者が掲載しているのではありません。


by inzei_com4 | 2014-04-04 15:43 | お出かけ系
<< 今年も、、、 次男君、おめでとう。 >>